桶川飛行学校平和祈念館 [戦跡]
今月の4日に平和祈念館としてオープンした桶川飛行学校平和祈念館に行ってきました。
熊谷陸軍飛行学校の分教場として昭和12年に桶川に作られた建物で昭和20年には特攻隊の訓練施設としても使われていました。終戦後にはGHQが進駐し、後に市営住宅となりました。
その後老朽化で取り壊す話もありましたが、戦時中の軍の建物として後世へ残す努力を様々な方たちがなされて、2018年から修復計画を開始、現在メインの分教場の建物を平和祈念館としてオープンしました。
私は復元前からこの飛行学校には訪れていたんですが、当時の姿に復元された建物は随分違う姿だったんだなぁと思いました。以前来たときはまだ市営住宅時代の増改築が残っていたので生活感溢れておりましたが、軍の施設ですからこのくらいきれいなんだろうなぁと納得です。
中の様子も復元。まぁ昼間に布団は敷きっぱなしなのはホントかな?とは思いますけどその辺はよくわからないので・・・ともかくこういうところで生活していたのがわかりやすくなっています。
廊下はこんな感じ。天井板もあります。
こちらは2011年の復元前の姿。老朽化が進んでいた中、極力当時の木材を特定して再利用されているそうで、関係者の努力に感謝です。
勿論、建物の中には平和祈念館としての戦時資料や展示品もあります。アクセスは車でないとなかなか大変かと思いますが、荒川サイクリングロードからは比較的近いので、サイクリングのついでに~という方は是非。
熊谷陸軍飛行学校の分教場として昭和12年に桶川に作られた建物で昭和20年には特攻隊の訓練施設としても使われていました。終戦後にはGHQが進駐し、後に市営住宅となりました。
その後老朽化で取り壊す話もありましたが、戦時中の軍の建物として後世へ残す努力を様々な方たちがなされて、2018年から修復計画を開始、現在メインの分教場の建物を平和祈念館としてオープンしました。
私は復元前からこの飛行学校には訪れていたんですが、当時の姿に復元された建物は随分違う姿だったんだなぁと思いました。以前来たときはまだ市営住宅時代の増改築が残っていたので生活感溢れておりましたが、軍の施設ですからこのくらいきれいなんだろうなぁと納得です。
中の様子も復元。まぁ昼間に布団は敷きっぱなしなのはホントかな?とは思いますけどその辺はよくわからないので・・・ともかくこういうところで生活していたのがわかりやすくなっています。
廊下はこんな感じ。天井板もあります。
こちらは2011年の復元前の姿。老朽化が進んでいた中、極力当時の木材を特定して再利用されているそうで、関係者の努力に感謝です。
勿論、建物の中には平和祈念館としての戦時資料や展示品もあります。アクセスは車でないとなかなか大変かと思いますが、荒川サイクリングロードからは比較的近いので、サイクリングのついでに~という方は是非。
2011-10-02 [戦跡]
今月30日のコミティアに参加します。
スペースはG01aで、「狙撃手」の後編を出す予定です。
進行状況は今ペン入れしてます。なんとか入稿出来るようにやっていきます。
今日は肌寒かったですが、サイクリングがてらに写真撮ってきました。上流の方はまだ彼岸花が沢山咲いていますので、良い感じのところをみてはパチパチ撮ってました。
写真撮っていたら猫が寄ってきたので、なんとか彼岸花と一緒にフレーミング。
こうやって写真を撮っていたら同じく写真を撮っていた年配の方に声を掛けられまして、いろいろお話したんですが、その中で近くに旧陸軍の飛行学校の建物があるという情報を伺ったので早速行ってみました。
荒川に掛かる桶川市の太郎右衛門橋を川島方面から渡ってすぐに左折すると、簡単な看板があってちょっといくとそこにあります。
旧陸軍桶川飛行学校という名称で昭和12年に開校したそうです。
現在残っているのは守衛所・車庫・営庭・本部兵舎・弾薬庫などがあります。
ここは陸軍のパイロット養成学校で、太平洋戦争前から教育していましたが多くの飛行兵達が亡くなったという歴史をボランティアの解説の方が説明してくれました。
建物自体は戦後、アパートとして使われて5年前まで人が住んでいたという経緯から今日まで残っていたのですが、それまでは取り壊しになるという話になっていたそうです。
現存する旧軍の木造兵舎はここにしかなく、貴重な戦争遺産ということで保存の動きがあり現在は土日に公開しているそうです。
しかし何度も近くを通っていたのに、ここの存在は知りませんでした。
ホンダの飛行場は以前旧軍のものだったというのは知ってましたが、まさかこのような戦争遺物が残っているとは思いもしませんでした。
まさに隠れた遺産ですが、しかしこれからの保存はいろいろ問題山積みな感じもしました。
木造の各所はアパートにされていたときだいぶ改造されましたし、各所痛んでいます。
改修するにしても、耐震・防火を最新規準にしますし、オリジナルらしい石綿スレートも環境に良い素材に変更しないとなりませんから、相当な予算が必要かと思います。
知事も訪れて保存の動きを支持しているようですので、ここはもっと存在をアピールして保存の為の予算を確保できたらと願います。
スペースはG01aで、「狙撃手」の後編を出す予定です。
進行状況は今ペン入れしてます。なんとか入稿出来るようにやっていきます。
今日は肌寒かったですが、サイクリングがてらに写真撮ってきました。上流の方はまだ彼岸花が沢山咲いていますので、良い感じのところをみてはパチパチ撮ってました。
写真撮っていたら猫が寄ってきたので、なんとか彼岸花と一緒にフレーミング。
こうやって写真を撮っていたら同じく写真を撮っていた年配の方に声を掛けられまして、いろいろお話したんですが、その中で近くに旧陸軍の飛行学校の建物があるという情報を伺ったので早速行ってみました。
荒川に掛かる桶川市の太郎右衛門橋を川島方面から渡ってすぐに左折すると、簡単な看板があってちょっといくとそこにあります。
旧陸軍桶川飛行学校という名称で昭和12年に開校したそうです。
現在残っているのは守衛所・車庫・営庭・本部兵舎・弾薬庫などがあります。
ここは陸軍のパイロット養成学校で、太平洋戦争前から教育していましたが多くの飛行兵達が亡くなったという歴史をボランティアの解説の方が説明してくれました。
建物自体は戦後、アパートとして使われて5年前まで人が住んでいたという経緯から今日まで残っていたのですが、それまでは取り壊しになるという話になっていたそうです。
現存する旧軍の木造兵舎はここにしかなく、貴重な戦争遺産ということで保存の動きがあり現在は土日に公開しているそうです。
しかし何度も近くを通っていたのに、ここの存在は知りませんでした。
ホンダの飛行場は以前旧軍のものだったというのは知ってましたが、まさかこのような戦争遺物が残っているとは思いもしませんでした。
まさに隠れた遺産ですが、しかしこれからの保存はいろいろ問題山積みな感じもしました。
木造の各所はアパートにされていたときだいぶ改造されましたし、各所痛んでいます。
改修するにしても、耐震・防火を最新規準にしますし、オリジナルらしい石綿スレートも環境に良い素材に変更しないとなりませんから、相当な予算が必要かと思います。
知事も訪れて保存の動きを支持しているようですので、ここはもっと存在をアピールして保存の為の予算を確保できたらと願います。